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足りないのは小橋でした

 タイトルの通りです。「この社会に足りないのは小橋でした。」 という私の中の雑な結論をここで展開していく。 注意⚠️ ・この記事は朝ドラ「虎に翼」のネタバレが含まれます 差別的な発言をしてしまった学生への小橋の対応 それは朝ドラ「虎に翼」で、寅子たちが学生たちに裁判官の仕事について、話をしている時に ある学生(男性)が「女は働きたくて働いているのになぜ文句を言うのか」「男は働かなきゃいけないけど女は家にいていいのに好きで働いてるんでしょ」と発言をする。 寅子や秋山は「何を言ってるの?」と日本国憲法下で育った子どもの、ミソジニー発言に面食らってしまう。そんな時、小橋がこう声をかける。 -------- 先生や周りがかまったりするのは、優等生か、こいつみたいな不良で、中途半端な俺たちは居ないも同然。 できる男と比べられるだけでもイヤなのに、できる女とも比べられる。頑張らなくてもいいのに頑張る女達に無性に腹が立つ! そんで、おまえが想像するように、その苦しさはずっと続くし、おまえはこの先の人生、ずっとできるやつらと比べられ続ける。 平等ってのはさ、俺たちみたいなやつにとって、確かに損なところもたくさんある。 でも、その苛立ちを向ける時、おまえ、“弱そうな相手”をえらんでないか? この先、仕事をして、どんな人生を送ろうと、弱そうな相手”に怒りを向けるのは、何にも得がない。おまえ自身が平等な社会を拒む邪魔者になる。イヤだろ? ま、1番になれなくてもさ、おまえのことをきちんと見てくれるひとは絶対にいるからさ。 引用:NHK朝ドラ「虎に翼」より ------- 私はマジで思った「こういうのが!!!なさすぎるんだよ!!!!」と... “間違い”を許せなさすぎる私たち。 以下の記事で長々書いているけれど、昨今のインスタ上、SNS上ではその難しさを無視して、「誰も踏まない」ことへの完璧さを求め、若干他罰的な状況が続いている。(詳細は記事へ) ※X上などの明らかに攻撃的なものや、悪意100%のヘイトスピーチは該当しない。念のため https://moyamoyashisugi.blogspot.com/2024/07/blog-post.html?m=1 https://moyamoyashisugi.blogspot.com/2024/08/blog-post_2...
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色々しんどいなと思ってたら見つけた記事の感想など

とても長い前置き(読まなくていいよ)  この世には悲しいことに、数多の人権問題があり、数多傷ついている人・困ってる人・被害に会っている人がいる。 そして、その問題に対して特権のある人、グラデーションな人、被害当事者の人がいたり、その問題に特権がある人が別の問題から見ると被害当事者になり得たりする。 誰しもに大なり小なり特権的な側面もあれば、被害当事者性があったり、誰しもが、立場や視点を変えてみると色々グラデーションがある。 そんな問題山積み、いろんな立場の人々がいる中で、1人のアクティビストが全ての問題に目を向けることは、普通に考えて不可能だ。 またアクティビストははっきりいってマイノリティだ。フェミニストも自覚してないだけな人もいそうだけどだいぶマイノリティだと思う。 そしてみんないっぱいいっぱいで余裕がある人はそうそういないんじゃないだろうか やっと本題 めちゃくちゃ前置きが長くなったけど 「フェミニストなら〇〇に声をあげるべき」 「クィアなら〇〇に声をあげるべき」 「ヴィーガンなら〇〇に声をあげるべき」 もうこういうのやめません? 普通に苦しくない?なんでただでさえ頑張ってる属性の人限定で声を上げようと言われなきゃならないのか? なんなら、そういった“属性”で自己を語ることに、ナショナリズム的な「日本人として‼️」的なものを感じたりする。語弊を恐れずに言うと、しばしば大日本帝国の波動を感じてしまう。 なんだか最近「声をあげよう」という文言を見るだけでもウヘエ...となってしまう自分がいる。 もっというと、これは“正しくない”発言だろうけど、「全ての人が解放されない限り誰も自由ではない」みたいなのも、理屈は大変正しいけれど、自分の人生ですら手一杯なのに、他人の人生まで背負わされてる感じで荷が重すぎるし、全体主義っぽいというか、すごい大日本帝国っぽい感じがして苦手です....「欲しがりません勝つまでは」と同じバイブスを感じてしまう。 みんなしんどい みんな大なり小なり疲れている。パレスチナのジェノサイドは止まらないし、日本国内だって状況はめちゃくちゃ悪い。インターネットのおかげで地理的に遠い国の問題も目の前で起きているかのように錯覚するので、物理的な意味合いでの距離感もバグってくる。目の前で虐殺が起きているのに、自分の生活の中では虐殺のぎの字も起きていない...

色々離れて見えたもの

 今、バーンアウトしておやすみ宣言をしている中この文を書いてる 離れてみてちょっと気づいたことがある 左派的な社会運動の繋がりの課題的な部分だ。別に私が書くことは正解でもなんでもないし、まして研究者とかでもないので「ある個人の感想」くらいにとどめてほしい。 繋がることは簡単。でも同じ温度感じゃないとしんどい 今SNS(特にインスタ)では、同じような政治の意識の人と繋がるのはめちゃくちゃ簡単になっていると思う。 特にインスタはオフラインの活動へのアクセスも良い。なぜならインスタのアクティビストは実際にデモ、選挙ボランティアなど動いたり参加する人が圧倒的に多いと感じるからだ。 なので、「オフラインでなにか動きたいけど、どう動けばいいかわからない」と言う人の第一歩までは、結構低いハードルになっているように感じる。 ただ、その一歩がどういう人たちと繋がって、今後どうなっていくのかや、その後のインスタ上のタイムラインの話題などが、自分のメンタルやそのイシューへの温度感とズレがあると結構しんどくて、結局離れそうだなと思う。 例えば、フェミニズムに関心があって、自分の周辺のしんどさを理解したいと言う温度感の人に、いきなり残酷な性暴力の話や、家父長制の歴史的背景、パリテの話をしてもキョトンとしてしまうだろうし、それで他のメンバーが「そうだ!そうだ!」と共感しあって盛り上がってたら、自分との色々な角度の温度差(知識や気持ちなど)に結構しんどくなるのではと思う(当然逆のパターンもある) おそらくその人に必要なのは「会社で言われてるそのモヤモヤは怒っていいやつだよ!」とか「結婚したら苗字変えるのおかしいよね」「そうだよね!おかしいよね!」みたいな、自分が感じてるモヤモヤに共感してもらって、「それフェミニズムじゃん!社会と政治悪いやん!私悪くないやん!」と気づくことがその時点での最終ゴールなんだと思う。 一つ目のゴールに辿り着いてから、前述のような他の問題を、その人のタイミングで知って行くことが大事なんだと思う。 全ての問題は繋がっているとは言うけれど... インターセクショナリティ(交差性)は大事であろうし、全ての問題が繋がっているのもわかる。 ただそれらは、非常に複雑で難しいものであることを時々見逃していると思う。 山手線みたいな単純な数珠繋ぎ的なものではないはずだ。(インスタ...

脅しのコミュニケーション

 これは電車内の広告が「毛をそれ」「英語話せ」「二重にしろ」的な脅迫型のマーケティングになってるよね、という話を見て思ったのだけど 政治の話も脅迫系多くない?と思った。 流石に前述の「毛を剃れ」的なものと全く同じではないけど「歯磨きしないと虫歯になるぞ」くらいの、事実関係がある脅迫系コミュニケーションが政治関連もまあまあ多いのではと思った。 「選挙に行かないと〇〇」とか「改憲されると〇〇」とか..きちんと知見があれば正しい話だと理解するし、まあそうだねという感想で終わるんだけど あまり知見がない人からすると、「なんか怖いことを言われている」「なんか怒られてる」以上の認識にならないのではと思った。 なんか怒られると普通に気分は悪い。そこから“論破”してやろうとネットで調べてウヨデマに飛びついてしまったりするのかなと思う。 はたまた「なんか怖いから触れないでおこう」と離れてしまう部分もありそう ちなみに私も「なんか怖いから触れたくない」話は存在している。ぶっちゃけると「食の安全」「ワクチン」「マスク」の類の話はあまり人としたくない。真っ当な話もあれば、ぶっ飛んだ話をされて普通にしんどい時が多い。 話を戻すと、選挙や改憲の危なさなどは、一定のロジックがあり正しい話だ。それを怖がらせるなと言って口を塞ぐのは大いに間違っていると思う。 「歯磨きしないと虫歯になりますよ!」 ではなく 「毎日歯磨きすると歯が綺麗になりますよ!」 的に言えるといいのかなと思う。 具体的にどうしたらいいかはわかんない(終)

もう疲れた。タイトル考える気力もない

 タイトルの通り、「これがバーンアウトか...」と言うくらいなんかもう疲れた。身体にも不具合が出ているので、多分いかんやつだと思う。マジでお疲れ様。 バーンアウトしてるのにブログは書けるんかい!と思われるかもしれないけど、ブログは自己との対話みたいな感じでできるんですよ(あと書いただけで公開しないとかできるし) こないだはなんかヘコヘコモードだったのだけど、今はお疲れモードなので文体が結構違うかも 正当な怒りでさえ見ていると辛い 色々なイシューで怒ってる人を見るのも、強い言葉を使ってる人を見るのも今めっちゃしんどい。ごめんなさい。 正当な怒りだと思うし、私もそれに対して私のできる温度感でキレている。(例えばイスラエル招待しちゃう広島とか、オリンピックの裏で改憲しようとしてる自民とか) 「いい加減にしろ!😡」じゃなくて「いいかげんにしてくれ(ヘロヘロ)😞」みたいな感じ。 ちなみにちゃんと怒ってる人にどうして欲しいとかそう言うのはない。私が悪いごめんなさい。 とはいえ私みたいな人結構いるんじゃね ちゃんと怒れない・怒ってる人見てるの辛いと言うのは、結構いるんじゃねと言う気がしている。 今やっと体感したが、怒るのも、怒る人を見るのもエネルギーがいるんだなと知った。それまで私は、幼少から怒る訓練がバッチリだったのでちゃんと怒っていた。なんなら各方面にキレすぎて生きづらかったのでアンガーマネジメントの本とか読むレベルだった。 ちなみにアンガーマネジメントとそれを日常に取り入れてから学んだことは「戦略的に怒る」ということで、怒るべき時に怒らないと普通にアカンということだった。 で、今怒ってる人は怒るべき時に怒っている人達だと思っている。 とはいえ見ていてしんどい....ごめんなさい。 怒る訓練とかできてなかったり、疲弊してる人は私よりこの状況辛いんじゃね?と思うようになった。だから何となくモヤモヤしていてもjoinしづらい的な ウヨサイドは...? とここでウヨサイドはどうだろうと考えてみる。 ウヨサイドはナショナリズムをうまく使ってるような気がする。「国のため!」「他人のため!」みたいなの。そういうのが気持ちいい人は気持ちよかろう。 あとは、怒りというより「不安」と「冷笑」の文化が大きい気がする。冷笑して相手より優位に立ってる“気がする”状況はたぶん結構気持ちがい...

誰かを虐殺加担者やレイシストにすぐ判定してしまう危うさ

 あんまり言語化はできていないかもしれないが、ずっと悩んでてもしょうがないのでアウトプットです。今年の2月あたりからずっと思っていることになります。 実はストーリーでも度々やんわり指摘をしてきたことです。先日直接的に書いたストーリーがそれなりに反響があったので、同じような気持ちの人も結構いるんじゃないかなと思います。 色んな問題を絡めて書きすぎてだいぶ雑多な文章になりました。謝罪。 悪意剥き出しウヨばかりじゃない まず、Xは知らないけど世の中そこまで悪意剥き出しのウヨレイシストばかりではないです。 知識なく差別的な発言をしてしまったり、今世界で起きてる問題を知らなかったり、会話の中で何かしら行き違いがあったりなどもあるでしょう。(むしろそういうのが一番厄介だよねという話もある) 何が言いたいかというと、無自覚に間違った発言や行動をしてしまう人たちが、みんながみんな悪意剥き出しのレイシストやシオニストではないということです。 あなたも間違える可能性はある 人間なので当たり前ですが、誰もが間違えます。 意図せず差別的なことを言ってしまう可能性は0じゃありません。当たり前ですが完全無欠な人間なんていないんです。また特権性は誰もが何かしら持っていると思います。 さらに言えば、人権教育ができていないこの国で育てばなおのこと間違えてしまう・知識を得る機会は少ないです。 また、多くの人が、昨年の事件がなければイスラエルの蛮行を知るよしもなかったように、知るタイミングがそれぞれ違うのも当たり前です。 もっと言えば、当事者の方々や、ずっと前からプロパレスチナ運動をしてきたような方々からすれば、昨年の事件をきっかけに知ったというのも充分“遅い”でしょう。ですがそれを責めたり、断罪するような人は現状見ていません。 念のため 「だから差別してもしょうがない」とか「当事者は丁寧に言え」「虐殺に加担してもOK」みたいな最悪な開き直りとトーンポリシングをしたいわけではないです。 全ては立場と関係性だと思いますし、 全てが白か黒か、的な簡単な世界ではないはずです。 その問題当事者の方が直接差別された時にお行儀よく対話しろとか言い出したら、もうそれはトーンポリシングです。加害を受けている人が、怒りを露わにすることを誰も止めるべきではありません。 逆に、当事者ではないアライ的な人が、“無自覚に...

都知事選2024振り返り:後編

 昨晩の結果からあまり眠れず書きなぐった文章が前編だったが、今回は後半。 よるあんま寝れなかったので正直まだぼんやりしている。そろそろと都知事選の当落がでて24時間がたとうとしている。そんなころ合いの私の感想文だ。 今回はポジティブ編で行こうと思う。 元気がどうも出ないのでマッドマックス怒りのデスロードを流しながら書いていく。なんかわからんけどフュリオサが蓮舫さんに見えてくる号泣 ☆ポジティブ編☆ ◆投票から大きな一歩を踏み出した人々の多さ ひとり街宣が大きな話題になっていたが、”普段投票には行くがそこまで選挙にコミットしなかった人たち”が、初めて街宣にいったとか、選挙ボランティアにいったとか…それこそ一人街宣に挑戦したとか、大きな一歩を踏み出せたという話をたくさん聞く。 私もそのうちの一人で、今までより深くコミットできたことは財産だ。例えば、ボラセンに行くのは初めてではなかったが、電話かけに挑戦したのは初めてだった。感想としては意外とできるけど、私はちょっと向いてなさそうだな。という感じ。でもまた電話かけボランティアがあるなら挑戦したいと思う。 と私も含めて大きくも小さくも一歩を踏み込めた人々が増えたことは素晴らしいことだと思う。 ◆一歩踏み出した人が受け入れられる場所づくり もう一つ言いたいのは一歩踏み出せたひとが受け入れられやすい土壌があったということ。これはDEPTのeriさんが作ってくれた新宿バスタ前の街宣や、インスタグラム上でのつながりがとても大きいと思う。これはポジティブでありある種ネガティブな側面もある話だが、インスタグラムはあまり横に横に広げるのが得意なSNSというよりかは、すでに興味がある人をさらにコミットしてもらえる、そういう範囲は狭いが深い関係を築きあうことができるSNSだと思う(実際はどうか知らないが、体感そう感じている。もしかしたらリールの必勝法とか極めるとまた違うのかもしれない)。そんな深い連帯ができるSNSとひとり街宣はすごく相性がよかったのではと思う。インスタグラムでつながった女性たち・若い人たちの連帯、日々モヤモヤしていたけど一歩踏み出せなかった人たちの居場所になったのではと考える。インスタライブも蓮舫さんのポジティブさ全開で、頑張る支持者たちのよりどころになっていたように思う。少なくとも私は蓮舫さんのインスタライブにすご...