タイトルの通り、「これがバーンアウトか...」と言うくらいなんかもう疲れた。身体にも不具合が出ているので、多分いかんやつだと思う。マジでお疲れ様。
バーンアウトしてるのにブログは書けるんかい!と思われるかもしれないけど、ブログは自己との対話みたいな感じでできるんですよ(あと書いただけで公開しないとかできるし)
こないだはなんかヘコヘコモードだったのだけど、今はお疲れモードなので文体が結構違うかも
正当な怒りでさえ見ていると辛い
色々なイシューで怒ってる人を見るのも、強い言葉を使ってる人を見るのも今めっちゃしんどい。ごめんなさい。
正当な怒りだと思うし、私もそれに対して私のできる温度感でキレている。(例えばイスラエル招待しちゃう広島とか、オリンピックの裏で改憲しようとしてる自民とか)
「いい加減にしろ!😡」じゃなくて「いいかげんにしてくれ(ヘロヘロ)😞」みたいな感じ。
ちなみにちゃんと怒ってる人にどうして欲しいとかそう言うのはない。私が悪いごめんなさい。
とはいえ私みたいな人結構いるんじゃね
ちゃんと怒れない・怒ってる人見てるの辛いと言うのは、結構いるんじゃねと言う気がしている。
今やっと体感したが、怒るのも、怒る人を見るのもエネルギーがいるんだなと知った。それまで私は、幼少から怒る訓練がバッチリだったのでちゃんと怒っていた。なんなら各方面にキレすぎて生きづらかったのでアンガーマネジメントの本とか読むレベルだった。
ちなみにアンガーマネジメントとそれを日常に取り入れてから学んだことは「戦略的に怒る」ということで、怒るべき時に怒らないと普通にアカンということだった。
で、今怒ってる人は怒るべき時に怒っている人達だと思っている。
とはいえ見ていてしんどい....ごめんなさい。
怒る訓練とかできてなかったり、疲弊してる人は私よりこの状況辛いんじゃね?と思うようになった。だから何となくモヤモヤしていてもjoinしづらい的な
ウヨサイドは...?
とここでウヨサイドはどうだろうと考えてみる。
ウヨサイドはナショナリズムをうまく使ってるような気がする。「国のため!」「他人のため!」みたいなの。そういうのが気持ちいい人は気持ちよかろう。
あとは、怒りというより「不安」と「冷笑」の文化が大きい気がする。冷笑して相手より優位に立ってる“気がする”状況はたぶん結構気持ちがいいんだろうなと思う。メンタル的にも楽そう。
不安については、ウヨサイドって基本的にデマとかを捏造して不安を煽るスタイルが多い。例えば沖縄のデニー知事や蓮舫さんが中国のスパイだとか(そんなわけない)(台湾ルーツの蓮舫さんが中国共産党のスパイなわけない、一つの中国思想すぎる)。デマで不安を煽るスタイルは、不安に思うのも疲れるだろうけど、何となく陰謀論っぽくて楽しいのかもしれない...私だけが知ってる真実...的な?
あと誰かを踏まないようにとか、複雑さを受け入れなくて済むのであんま考えなくてもいいのかも...
怒りを構造や権力者ではなく市民や仲間に向ける人
ウヨサイドとの違いは結構この辺じゃないかなと思う。私の友人も「左派はそれぞれ譲れないものがあるから分断されるけど、右派はトップダウンだから分断されない」と言っていてそれなと思った。(保守党が云々みたいな内ゲバっぽいのもあるにはあるけど)
以前大変反響があった記事で大体のことは語り尽くした気がする
まあ実際私も流石に厳しすぎやろ...と思うことは多い...殆どそれは表に出さないけれど....その思いを書いたのが前回の記事だったわけですが...
でも、もう怒るのも疲れてしまったし、なんか対話できそうにない/対話する体力がない
あえていくつか例を挙げると
日本の状況が悪い中で子ども産む人は云々とか(SRHRどこいったん...)
〇〇なのに△△をボイコットしてないのは勉強不足!とか(よくない企業なのは私は知ってるけども...そんなん、みんな知ってるとは限らんやん...)
保守系候補が通りやすい地域の住人を差別大好きな県民性と言ってみたりとか
相手をコントロールしたがりすぎだし、なんでそんな暴言吐けるんだろ...と心底しんどい気持ちになる。他人と自分は大前提違う。それぞれ抱える苦しみも....。インターセクショナリティーはどこへ行ったんだろう。
また、どれをとったって悪いのは市民ではなく構造であり、それを支える権力者たちであることは明白なのに...
特に子どもがいる人は、それこそ理不尽な目に遭いやすい、子育て罰とも言われてるくらいだ。そんな社会構造によりただでさえ不利な人のことを中傷するように吐き捨てていいんだろうか、それも多くの人が見るSNSで....
自分でも書いててなんか気が滅入ってきた...
社会の息苦しさや理不尽さを打破したくて、活動しているのに、その場所が息苦しくなってしまった。
反差別として完璧に怒れて完璧な生活できてないし。頭のとれた赤ちゃん直視できない、水筒忘れて普通にペットボトル買っちゃうし、作り置き消費し切れないことあるし、たまに買っちゃうお惣菜のパッケージほぼプラスチックだし、ヴィーガンできないし(私の腸の病気的に動物性や魚を避けるのが難しいんや....)、コンビニでもの買っちゃうし、JKローリングはマジでトランスヘイトやばすぎて何一つ賛同できないけど、まだハリーポッター好きだし...的な感じで滅入ってくる....
このしんどさは罪悪感とかそういう類のものではない気がしている。どちらかというとタスクが多すぎてキャパオーバーしてる状態に近い。やるべきとされてることが多すぎて、辛い。
私フルタイムで働いて、難病持ちで、色んなもん抱えて頑張って生きてるのに、反差別するためにはそんなにいっぱい完璧でなくちゃいけないのだろうか。私には無理だ。ごめん。特権があるから甘えてるのだろうか?いやでも無理なもんは無理だって...私死んじゃうよ....。
....そもそも特権って「たらぬたらぬは工夫が足らぬ」「欲しがりません勝つまでは」的に使われるものでしたっけ?
前述の厳しすぎる人たち(もはや中傷に近い気もする)には、怒りや呆れや諦めとか色々錯交している。
それで今後どうする?
とりあえず腸痙攣とか起こしてるし、しばらく心穏やかに過ごせるように情報から離れようと思う。それを特権とか云々言う人がいるなら、一旦大腸が血まみれになったり、腸痙攣で激痛を味わってから出直して下さいという気持ち(そういう持病があるヨ)(なんか攻撃的っぽくてごめん)
と言いつつも情報集めちゃうんだろうな...というのが私の悪いところでして...
なのでデジタルデトックス的な方向で休もうと思う。
もっというと、リアルな活動ですでに決まってるものは普通にできそうだなと思う。その場所では心理的安全性が担保されているからだ。
だから完全なお休みってわけじゃないけど
SNSアクティビズムからは距離を置こうと思う。
フェミニストであるならー反差別であるなら〇〇をすべきみたいな、カテゴライズで行動を強制させてくるような言動も悉くしんどい。だったら私はもうフェミニストでも反差別でもなくていいです。ただのギャルです。(終)
って感じ。オッス、オラ個人🙋♀️。
あと他人の怒りと自分の境界線が何となくうやむやになっているのかもしれない
そのあたりも整理したいと感じている
まとまんね〜まとまるわけねえ〜と思いながら筆を置く。
この文章はインスタとかでシェアとかはしないけど、ひっそり公開する感じにしておく。
追記:
とは思ったものの、若干加筆して、この記事をストーリーで変な時間にシェアしてみることにした。
まだまだ私にとって正直インスタは居心地が良いとはいえない。
でも体調も戻ってきたので、少しずつ再出発するつもりだ。ただアカウントのコンセプトなど変える必要があるかもしれないな...とか。まあ色々考えている。とりあえず紆余曲折あったけど体調が戻ってよかった。当分ぶり返さないことを目標にします。
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