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都知事選2024振り返り:後編

 昨晩の結果からあまり眠れず書きなぐった文章が前編だったが、今回は後半。

よるあんま寝れなかったので正直まだぼんやりしている。そろそろと都知事選の当落がでて24時間がたとうとしている。そんなころ合いの私の感想文だ。

今回はポジティブ編で行こうと思う。

元気がどうも出ないのでマッドマックス怒りのデスロードを流しながら書いていく。なんかわからんけどフュリオサが蓮舫さんに見えてくる号泣


☆ポジティブ編☆

◆投票から大きな一歩を踏み出した人々の多さ

ひとり街宣が大きな話題になっていたが、”普段投票には行くがそこまで選挙にコミットしなかった人たち”が、初めて街宣にいったとか、選挙ボランティアにいったとか…それこそ一人街宣に挑戦したとか、大きな一歩を踏み出せたという話をたくさん聞く。

私もそのうちの一人で、今までより深くコミットできたことは財産だ。例えば、ボラセンに行くのは初めてではなかったが、電話かけに挑戦したのは初めてだった。感想としては意外とできるけど、私はちょっと向いてなさそうだな。という感じ。でもまた電話かけボランティアがあるなら挑戦したいと思う。

と私も含めて大きくも小さくも一歩を踏み込めた人々が増えたことは素晴らしいことだと思う。

◆一歩踏み出した人が受け入れられる場所づくり

もう一つ言いたいのは一歩踏み出せたひとが受け入れられやすい土壌があったということ。これはDEPTのeriさんが作ってくれた新宿バスタ前の街宣や、インスタグラム上でのつながりがとても大きいと思う。これはポジティブでありある種ネガティブな側面もある話だが、インスタグラムはあまり横に横に広げるのが得意なSNSというよりかは、すでに興味がある人をさらにコミットしてもらえる、そういう範囲は狭いが深い関係を築きあうことができるSNSだと思う(実際はどうか知らないが、体感そう感じている。もしかしたらリールの必勝法とか極めるとまた違うのかもしれない)。そんな深い連帯ができるSNSとひとり街宣はすごく相性がよかったのではと思う。インスタグラムでつながった女性たち・若い人たちの連帯、日々モヤモヤしていたけど一歩踏み出せなかった人たちの居場所になったのではと考える。インスタライブも蓮舫さんのポジティブさ全開で、頑張る支持者たちのよりどころになっていたように思う。少なくとも私は蓮舫さんのインスタライブにすごく励まされた。

あとボランティアセンターも場所づくりが素晴らしかった。例えばお子さん向けのスペースがあったり、スタッフのみなさんもすごく気さくで「はじめてです…」というと快く教えてくれるし、わからないことがあったらすぐ助けてくれそうな、心理的安全性がすごく担保されていた。記憶があいまいだが、トイレにグラウンドルールの張り紙があり、「男性もトイレは座ってください」というのもナイスだし、差別NGであったりすごく良い雰囲気をつくっていたと思う。心に残っているのは私より年上の男性スタッフが声をかけてくれてなんとなーく話した愚痴に対して「いやな思いさせてしまって申し訳ないです」と言ってくれたことだ。特に謝ってほしいとも思っていなかったしその方は一切悪くないのだが、マンスプされがちなのでかなり新鮮だったし、フラットな空間で安心できる場所だったなと思う。


◆トレンドに乗った人、深くコミットした人

ここで少し石丸氏に触れておく。

あれだけ「石丸旋風!」的だったのに、7/9現在、SNS(Twitter)では、「石丸構文」としていじられまくっている。

発端は選挙結果後のメディアのなんてことないインタビューに対する、ほぼ会話になってない石丸氏の受け答えが悪い意味で話題になり、そこからふかわりょうさんのポストで、完全にイジリの対象になった。https://x.com/fukawa__rocket/status/1810167371430310110?s=46

一晩でスーパースターが一気に「やばいやつ」に転落してしまったのだった。(tiktok、YouTubeでは石丸支持者によりうまいこと切り抜かれなぜかメディアが悪いことになっているが...正直時間の問題だと思う)

これはどういうことかと言うと、ネットでの広まりは確かに威力抜群だ。しかし、SNSの新陳代謝は早く、一過性のブームの繰り返しであり、逆にネットでたちまち悪評が広まったときに、すごく弱いということではないかと思う。

相当な支持者ではない限り、なんとなーく「SNSで見て良さそう」レベルのブームで投票した人は、この切り抜きでない長尺での、会話が成立しない彼を見たらどう思うだろうか?

対して蓮舫さんは一過性のブームの人ではない。(まあ選挙的には一過性であれブームを作るべきではあったが...)

タラレバだが、蓮舫さんが同じようにSNSブームを起こせていたら、確かに一過性な部分もあるかもしれないが、蓮舫さんは中身が伴っている人なので、イメージ戦略だけの人とはまた違うと思う(とはいえミソジニーやゼノフォビア由来のデマなどに困らせられる可能性はある...いまもそうだが)


蓮舫さんを応援していた人は前述のように、一歩踏み出し、繋がる場所を作り出せた人たちだ。そして今もインスタという場所で繋がれている。(どこに送ればいいか謎だが、蓮舫さんが落ち着いてきたら応援した人たちのファンミーティングとかやったら良さそう)

この人たちは今後、おそらく他のリベラル候補が出る選挙があった時、蓮舫さんの選挙で踏み出した一歩から、さらにもう一歩と進められる可能性が高いと思っている。

要はリベラル系の次世代が可視化されたということだと思う。それはTHE運動員的な強固すぎるものではなく、有害な男性性的なものでもなく、女性たちの穏やかな繋がりだ。

YouTube番組のデモクラシータイムスでも触れられたが、今回蓮舫さんはこの国に根深いミソジニーに足を引っ張られたのではという話がある。石丸氏のパワハラとも取れる発言が「よく言った!」と称賛される一方で、蓮舫さんが権力者へ鋭い批判を展開すると「批判ばかり、怖い」とか言われるのが最たる例だろう。またTwitter情報で確かかはわからないが、リベラル系の高齢男性は蓮舫さんに対し「怖すぎる、小池さんみたいに穏やかだったら-」的なことを言ってたそうな(嘔吐)

前半記事でも少し触れたが、前々回の選挙でリベラルが鳥越氏を応援してしまうようにリベラルも(もちろん右翼もそれ以外も)この国のミソジニーは根深い。

そんなミソジニーな選択、ミソジニーな場所しかなかった政治の世界で、女性たちが主体となったこの繋がりは画期的で、今政治に1番足りてないものを作り出せたのではと思う。

この有害な男性性のない場所づくりは、今回の選挙でポッと出でブーム的にできたのではなく、いろんな運動の中で着々と育まれてきたものではないだろうか。

長い長い闘いの中で、持続可能性の高い取り組みを手に入れたことは大きな大きな財産になったのではないだろうか


◆蓮舫さんに最大のリスペクトを

兎にも角にも、今回の選挙で一番ポジティブなことは蓮舫さんが立ってくれたことだ。

蓮舫さんが立ってくれなかったら、と思うと選択肢が地獄すぎて泣く。ドクター中松あたりに「毎回出ててすごい😊おじいちゃん長生きしてね😊」の一票を投じるとかそういう発想になりそうだった。あぶないあぶない。

そして、前述の若い人、女性たちの繋がりができたのは、やっぱり中心に蓮舫さんがいたからだろうと思う。

私自身も、ふわっとしか知らなかった蓮舫さんという政治家を、深く知ることができた。本当に感謝しかない。

この選挙、蓮舫さんには全く非がないというわけではないかもしれない。でも、ミソジニーとゼノフォビアという二重の差別に抗いながら戦った彼女を、メディアが下品な冷笑で叩く権利などない。

今後のために、選挙戦術で誤った部分は分析して改善してほしいと強く思うが、それは別に今すぐ蓮舫さんにやってほしいというわけではない。今はとにかくどうかゆっくり疲れを癒してほしい。何よりも感謝と尊敬の念を送りたい。


ーーーーーーー

補足

前編の記事で、いろいろな感想を頂いた。元気になったとか逆にモヤモヤしましたとか、反応を頂いてとても励みになった。

そこから少しだけ補足したいと思う。

ショート動画やイメージだけで投票の判断をするのはまずそうではという話だ。

今の有権者のリテラシーに合わせて政策を読めないことを放置していいのか?というご感想を頂いた。

まず言いたいのは、めちゃくちゃ正しい。有権者のリテラシーを上げるのは必要不可欠だ。そのためにはやはり教育を変えていくしかない。

ただ教育を変えるためには政治を変えないといけない、政治を変えるには、選挙で“正しい”候補者に投票しないといけない。

しかし現状は正しいことを言っても政策を気にする人はいないので票が取れない。

ということで、当選できないと根本的な解決は厳しい。

なので正しい候補者の伝えたいことを、政策を、リテラシー低い人に合わせて橋渡ししてあげる人が必要だ。これがSNSマーケティングの重要性だと思う。

逆に「正しい政策を読んでもらうことが大事!」とやらない選択をしてまうと、ポピュリストがどんどん政治を占領しぺんぺん草も生えない状態になると思う。もう有権者が政策をみて正しい政策の候補者に投票するはず、と信じるのやめよう。正しいこと言えばついてくると思うのもやめよう。ごめんだけど私は諦めた。政治に興味がある人とない人の壁は高く、言語も思考回路も全く違うのだ。少なくとも私は「政治に興味がない」時期がないので、全然わからん。そこはごめん。

ということで、ぺんぺん草の1人として今後もできることを継続していきたい。




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