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誰かを虐殺加担者やレイシストにすぐ判定してしまう危うさ

 あんまり言語化はできていないかもしれないが、ずっと悩んでてもしょうがないのでアウトプットです。今年の2月あたりからずっと思っていることになります。

実はストーリーでも度々やんわり指摘をしてきたことです。先日直接的に書いたストーリーがそれなりに反響があったので、同じような気持ちの人も結構いるんじゃないかなと思います。

色んな問題を絡めて書きすぎてだいぶ雑多な文章になりました。謝罪。

悪意剥き出しウヨばかりじゃない

まず、Xは知らないけど世の中そこまで悪意剥き出しのウヨレイシストばかりではないです。

知識なく差別的な発言をしてしまったり、今世界で起きてる問題を知らなかったり、会話の中で何かしら行き違いがあったりなどもあるでしょう。(むしろそういうのが一番厄介だよねという話もある)

何が言いたいかというと、無自覚に間違った発言や行動をしてしまう人たちが、みんながみんな悪意剥き出しのレイシストやシオニストではないということです。

あなたも間違える可能性はある

人間なので当たり前ですが、誰もが間違えます。
意図せず差別的なことを言ってしまう可能性は0じゃありません。当たり前ですが完全無欠な人間なんていないんです。また特権性は誰もが何かしら持っていると思います。
さらに言えば、人権教育ができていないこの国で育てばなおのこと間違えてしまう・知識を得る機会は少ないです。

また、多くの人が、昨年の事件がなければイスラエルの蛮行を知るよしもなかったように、知るタイミングがそれぞれ違うのも当たり前です。
もっと言えば、当事者の方々や、ずっと前からプロパレスチナ運動をしてきたような方々からすれば、昨年の事件をきっかけに知ったというのも充分“遅い”でしょう。ですがそれを責めたり、断罪するような人は現状見ていません。

念のため

「だから差別してもしょうがない」とか「当事者は丁寧に言え」「虐殺に加担してもOK」みたいな最悪な開き直りとトーンポリシングをしたいわけではないです。

全ては立場と関係性だと思いますし、
全てが白か黒か、的な簡単な世界ではないはずです。

その問題当事者の方が直接差別された時にお行儀よく対話しろとか言い出したら、もうそれはトーンポリシングです。加害を受けている人が、怒りを露わにすることを誰も止めるべきではありません。

逆に、当事者ではないアライ的な人が、“無自覚に差別的だったり間違った行動をする人”に出会ったらどうでしょう?

「いや!パレスチナで起きていることはみんな当事者だ!」という人もいるでしょうが、ここ日本に住む人々の中では、今まさに虐殺されてる当事者やその家族ではない人が多いと思います。
ガザに住む虐殺当事者たちの当事者性を日本という安全圏にいて、連帯を超えて当事者に同化するのも、アメリカ追従の日本という立場から被害者性を盗用...とまでは言いませんが、似たようなものを感じます。ここについてはうまく言語化できていません。

話を戻します。その無自覚差別を家族がしていたら?友達?フォロワー?知らない人?職場の人?
それぞれで、やんわり注意するとか、がっつり説得するとか、反応は変わるんじゃないでしょうか?
というと「私は断固としてレイシストやシオニストには強く抗議します!」という人もいるかもしれません。

ではあなたが間違った時、速攻でレイシスト認定されても大丈夫そうですか?と問いたい。

きっとそこまで熱い思いを持っているなら、あなたは話せばわかる人なんじゃないでしょうか?

「いや!絶対に間違いは許されない!」と思うのであれば、他者に“完璧”を求めまくった結果、死者を多数出した、とある【事件】を簡単でいいので調べてほしいと思います。
【山岳ベース事件】です。

※ちなみにもし本当に許されない間違い(犯罪など)をしたのであれば、それは司法によって裁かれるべきです。法治国家のはずなので...法も万能ではないですが、私刑を推奨する人は流石にいないでしょう。また、「話してもわからない人」がいることも事実です。もしかしたら数年後気づくのか、レイシストになってしまうのか、それ以上言及すると別の話になりそうなので一旦置いておきます。

簡単に誰かをレイシストや虐殺加担者に認定してしまう事の危うさ

山岳ベース事件は、連合赤軍の内部で、集団リンチによって14名が亡くなった事件です。


※彼らは共産主義を目指していましたが、日本共産党とは敵対関係にあり全くの無関係です※

殺された理由は様々ですが、“革命戦士”になるために、「こうあるべき」というのを独自の根拠で決めて、そこから外れていると判断された人をリンチし死に至らしめたという事件です。

現状、実際にアイスピックで刺したりなど暴力的なことは起きていないと思いますが...

SNS上の中では少し似ている状況が続いているように思います。

例えば、イスラエルボイコット運動の中で、BDS側が集中的ボイコットをと、非常にわかりやすいリストを出してくれています。私は基本的に呼びかけの際はそれを参考にしています。個人としてはBDSの出しているもの+アメリカ資本、イスラエル資本をなるべく避けるようにしています。

しかしインスタ上では、全く根拠のないボイコットリストが多数あり、そのうちの一つにあまりにも加担しているとされている企業が多すぎるものがありました。これらの企業がどうして加担していると分かったんだろうと思い、根拠をお尋ねしました。
一応根拠元のサイトを教えて頂きましたが、少し疑問に残るものでした。そこを調べようと思った矢先、本当に驚いたのですが、その方は投稿で「根拠があるか自信がないのでこれはただの絵でボイコットは呼びかけてません」という、情報発信者として責任を丸投げするという、大人としてどうなんだろうとドン引きするような対応されていました。

そもそも根拠なく勝手に虐殺に加担したことにされている企業からしたらどうでしょう。
もし根拠がないのであれば、だいぶまずいのではと思います。

もっと恐ろしいのは、こういった安易な認定が個人に向けられたらということです。

実際に『沈黙は加担』という言葉の元、特に強い根拠はなく加担している、目を逸らしている、と認定しちゃったりしていませんか?
誰もがSNS上でプロテストしているわけではありません。他人のストーリーを全て目を凝らして見るひとってそんなにたくさんいるでしょうか?“あなたの”投稿を見ない・反応しないことが沈黙でしょうか?“あなた”はガザそのものなんでしょうか?

自分の立場や、他者との境界線、距離感を確認してみてほしいです。

上記で、ほんの一例を挙げましたが、正直似たような根拠のない加担者認定や、無責任だなと感じる対応・行動をそれなりにみています。具体的にどれと指摘することもできますが、分断を煽ってしまったり、私自身に対して攻撃されるリスクが高まるので触れないでおきます。

こういったこともあって、私はプロパレスチナ運動からは距離を置いています。個人としてのボイコット・バイコット、支援団体への寄付や、選挙に関してはできる限りのことをしています。(選挙によって正しい代弁者を決めることが、国際社会への態度や、今まさに私たちが踏みつけている沖縄など、より直接的に変えることができると考えている部分も大いにあります。)

日本においての社会運動史

山岳ベース事件を取り上げましたが、歴史から学べることはたくさんあると思います。
海外の運動を参考にするのも大切ですが、日本には日本の文脈があることを頭に入れておかないと、危ない人たち取り込まれてしまう危険性もあります。自分も他人も運動そのものを守るためにも、学ぶことが必要だと思います。

例えばプロパレスチナ運動は、日本赤軍や中核派というような危ない人たちとも縁があります。少しググるとわかると思います。
そういった人々と関わらないように注意していく必要があると思います。
なぜ彼らが危険かと言えば、ざっくり言うと議会制民主主義を否定し暴力によって国を変えようという考え方の人々だからです。
そこにいる個人は良い人かもしれませんが、それをいったら統一教会にも自民党にも“良い人”はいるでしょうねとしか言えません。

こういった危ない人と関わらないようにする一番簡単な方法は、危ない人と敵対してる人の側にいることだと思います。
例えば日本共産党です。

日本共産党はこういった極左と非常に仲が悪いです。それを証拠に中核派のヘルメットには「民青粉砕」の文字があったりします。(民青は共産党がアドバイザーを務めている青年組織)

私もこのあたりの運動史はまだまだ勉強中ですが、共産党ほど長くやってるところもないので、彼らの動きは参考になると思います。


セルフケアを悪魔化しないで

SNS上でのパレスチナ運動が盛んになり始めた時に、
英語話者の方が、「セルフケアは意味がなく、連帯して癒しあうべきだ」(ブロックしてしまってうろ覚えですが)といってる日本語字幕がついた動画がバズっていました。

切り抜きだったのでもしかしたら前後の文脈などあったのかもしれませんが、その動画をきっかけにセルフケアを悪魔化したり、自身のケアのために休むことを特権と言ったりするムーブが始まったと思います。

私は都度ストーリーでやんわり警鐘を鳴らしていましたが、ハッキリ申し上げると、この事象にめちゃくちゃキレてました。「これ以上アクティビストを追い詰めてどうする?私やフォロワーさんたちに死ねって言ってるの?」と思いました。

その人の心の健康、体の健康の保ち方は人それぞれのはずです。私はADHD的な特性かわからないですが(一応そのように診断されたことがあります)、周りに合わせることに神経を注ぎすぎて疲れてしまうことがあります。
コレクティブケアが誰しもに適応するものではないんじゃないでしょうか?

そもそもコレクティブケアのみが正しく、セルフケアを悪魔化する具体的根拠ってなんなんでしょうか?それこそこのセルフケアの悪魔化も前述の山岳ベース事件のようなものを強く感じます。

ケアを怠るとその人自身が参ってしまうのもそうですが、他人に当たるようになります。

そもそもどのイシューでもそうですが、英語話者が自信たっぷりに話すことが全部正しいんでしょうか?
何かの専門家であったりエビデンスを提示しているものはまだしも、当該の動画はそういったエビデンスもなければ、ケアの専門家でもなさそうな人でした。
何語で話していようが、SNSの情報をぜーんぶ鵜呑みにすべきではありません。

話を戻します。
そうやって身を守る、ケアすることも特権だと、ガザの人を思うととか罪悪感から全部が全部特権に見えてしまう人もいるでしょう。

特権はあくまで特権であって罪悪感で自傷行為をするための口実ではないはずです。

以前フォロワーさんの中で病気や家庭環境で苦しい思いをされてる方が、「〇〇で辛いのも特権」とか「〇〇の病気だけど特権」とか、全然特権じゃないことを、特権といって苦しんでる方がいました。私はそれは罪悪感を使った自傷行為のように見えました。

そして当たり前ですが、何かしら行動している人が自傷行為的に自分を責めたところで、状況は好転せず、バーンアウトしてしまうか、むしろ他人に当たるなど良いことはほぼないんじゃないかと考えます。

とにかく、セルフケアでもコレクティブケアでもご自身に合うケアをして欲しいと思います。
そして必要があれば医療機関など適切な場所につながってほしいです。

最後に

まとまらない文章で恐縮ですが、ここ何ヶ月か私がずっとモヤモヤしてきたことを書き殴ってみました。

私も虐殺にはもちろん反対であり、一刻も早くパレスチナの解放/平和を望んでいます。
(ちなみに平和より解放と言うのを私はあまり使いたくないです。なぜなら先人たちが平和という言葉の元運動してきた訳で、それらを否定してしまうような気がするからです。ですので解放/平和と表記します。私がそうしたいだけなので、他人に強要する気はありません。)

ですがその中で、山岳ベース事件的なことが繰り返されてしまうのであれば、全力で防がなければなりません。現状そういった暴力は起きていないです。起きてないからこそ今言います。戦争が始まる前だから戦争反対と言えるように、ことが起きてからでは遅いです。

都知事選挙をきっかけに、何ヶ月か前よりはそこまでやばそうな雰囲気をインスタ上で感じてはいないです。逆にその時にこの文を出せば良かったのかもしれませんが、それこそ根拠なくジャッジされるのではと怖くて出すことができませんでした。

また、ここでいろいろと偉そうに書いてきましたが、もちろん私も完璧ではないし勉強中です。
最後に私が気をつけていることを発表して
勝手に終わりにします。

気をつけてること
・自分にできることをやる
・できないこと無理してやらない
・他人をコントロールできると思わないこと







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