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8月, 2024の投稿を表示しています

色々しんどいなと思ってたら見つけた記事の感想など

とても長い前置き(読まなくていいよ)  この世には悲しいことに、数多の人権問題があり、数多傷ついている人・困ってる人・被害に会っている人がいる。 そして、その問題に対して特権のある人、グラデーションな人、被害当事者の人がいたり、その問題に特権がある人が別の問題から見ると被害当事者になり得たりする。 誰しもに大なり小なり特権的な側面もあれば、被害当事者性があったり、誰しもが、立場や視点を変えてみると色々グラデーションがある。 そんな問題山積み、いろんな立場の人々がいる中で、1人のアクティビストが全ての問題に目を向けることは、普通に考えて不可能だ。 またアクティビストははっきりいってマイノリティだ。フェミニストも自覚してないだけな人もいそうだけどだいぶマイノリティだと思う。 そしてみんないっぱいいっぱいで余裕がある人はそうそういないんじゃないだろうか やっと本題 めちゃくちゃ前置きが長くなったけど 「フェミニストなら〇〇に声をあげるべき」 「クィアなら〇〇に声をあげるべき」 「ヴィーガンなら〇〇に声をあげるべき」 もうこういうのやめません? 普通に苦しくない?なんでただでさえ頑張ってる属性の人限定で声を上げようと言われなきゃならないのか? なんなら、そういった“属性”で自己を語ることに、ナショナリズム的な「日本人として‼️」的なものを感じたりする。語弊を恐れずに言うと、しばしば大日本帝国の波動を感じてしまう。 なんだか最近「声をあげよう」という文言を見るだけでもウヘエ...となってしまう自分がいる。 もっというと、これは“正しくない”発言だろうけど、「全ての人が解放されない限り誰も自由ではない」みたいなのも、理屈は大変正しいけれど、自分の人生ですら手一杯なのに、他人の人生まで背負わされてる感じで荷が重すぎるし、全体主義っぽいというか、すごい大日本帝国っぽい感じがして苦手です....「欲しがりません勝つまでは」と同じバイブスを感じてしまう。 みんなしんどい みんな大なり小なり疲れている。パレスチナのジェノサイドは止まらないし、日本国内だって状況はめちゃくちゃ悪い。インターネットのおかげで地理的に遠い国の問題も目の前で起きているかのように錯覚するので、物理的な意味合いでの距離感もバグってくる。目の前で虐殺が起きているのに、自分の生活の中では虐殺のぎの字も起きていない...

色々離れて見えたもの

 今、バーンアウトしておやすみ宣言をしている中この文を書いてる 離れてみてちょっと気づいたことがある 左派的な社会運動の繋がりの課題的な部分だ。別に私が書くことは正解でもなんでもないし、まして研究者とかでもないので「ある個人の感想」くらいにとどめてほしい。 繋がることは簡単。でも同じ温度感じゃないとしんどい 今SNS(特にインスタ)では、同じような政治の意識の人と繋がるのはめちゃくちゃ簡単になっていると思う。 特にインスタはオフラインの活動へのアクセスも良い。なぜならインスタのアクティビストは実際にデモ、選挙ボランティアなど動いたり参加する人が圧倒的に多いと感じるからだ。 なので、「オフラインでなにか動きたいけど、どう動けばいいかわからない」と言う人の第一歩までは、結構低いハードルになっているように感じる。 ただ、その一歩がどういう人たちと繋がって、今後どうなっていくのかや、その後のインスタ上のタイムラインの話題などが、自分のメンタルやそのイシューへの温度感とズレがあると結構しんどくて、結局離れそうだなと思う。 例えば、フェミニズムに関心があって、自分の周辺のしんどさを理解したいと言う温度感の人に、いきなり残酷な性暴力の話や、家父長制の歴史的背景、パリテの話をしてもキョトンとしてしまうだろうし、それで他のメンバーが「そうだ!そうだ!」と共感しあって盛り上がってたら、自分との色々な角度の温度差(知識や気持ちなど)に結構しんどくなるのではと思う(当然逆のパターンもある) おそらくその人に必要なのは「会社で言われてるそのモヤモヤは怒っていいやつだよ!」とか「結婚したら苗字変えるのおかしいよね」「そうだよね!おかしいよね!」みたいな、自分が感じてるモヤモヤに共感してもらって、「それフェミニズムじゃん!社会と政治悪いやん!私悪くないやん!」と気づくことがその時点での最終ゴールなんだと思う。 一つ目のゴールに辿り着いてから、前述のような他の問題を、その人のタイミングで知って行くことが大事なんだと思う。 全ての問題は繋がっているとは言うけれど... インターセクショナリティ(交差性)は大事であろうし、全ての問題が繋がっているのもわかる。 ただそれらは、非常に複雑で難しいものであることを時々見逃していると思う。 山手線みたいな単純な数珠繋ぎ的なものではないはずだ。(インスタ...

脅しのコミュニケーション

 これは電車内の広告が「毛をそれ」「英語話せ」「二重にしろ」的な脅迫型のマーケティングになってるよね、という話を見て思ったのだけど 政治の話も脅迫系多くない?と思った。 流石に前述の「毛を剃れ」的なものと全く同じではないけど「歯磨きしないと虫歯になるぞ」くらいの、事実関係がある脅迫系コミュニケーションが政治関連もまあまあ多いのではと思った。 「選挙に行かないと〇〇」とか「改憲されると〇〇」とか..きちんと知見があれば正しい話だと理解するし、まあそうだねという感想で終わるんだけど あまり知見がない人からすると、「なんか怖いことを言われている」「なんか怒られてる」以上の認識にならないのではと思った。 なんか怒られると普通に気分は悪い。そこから“論破”してやろうとネットで調べてウヨデマに飛びついてしまったりするのかなと思う。 はたまた「なんか怖いから触れないでおこう」と離れてしまう部分もありそう ちなみに私も「なんか怖いから触れたくない」話は存在している。ぶっちゃけると「食の安全」「ワクチン」「マスク」の類の話はあまり人としたくない。真っ当な話もあれば、ぶっ飛んだ話をされて普通にしんどい時が多い。 話を戻すと、選挙や改憲の危なさなどは、一定のロジックがあり正しい話だ。それを怖がらせるなと言って口を塞ぐのは大いに間違っていると思う。 「歯磨きしないと虫歯になりますよ!」 ではなく 「毎日歯磨きすると歯が綺麗になりますよ!」 的に言えるといいのかなと思う。 具体的にどうしたらいいかはわかんない(終)

もう疲れた。タイトル考える気力もない

 タイトルの通り、「これがバーンアウトか...」と言うくらいなんかもう疲れた。身体にも不具合が出ているので、多分いかんやつだと思う。マジでお疲れ様。 バーンアウトしてるのにブログは書けるんかい!と思われるかもしれないけど、ブログは自己との対話みたいな感じでできるんですよ(あと書いただけで公開しないとかできるし) こないだはなんかヘコヘコモードだったのだけど、今はお疲れモードなので文体が結構違うかも 正当な怒りでさえ見ていると辛い 色々なイシューで怒ってる人を見るのも、強い言葉を使ってる人を見るのも今めっちゃしんどい。ごめんなさい。 正当な怒りだと思うし、私もそれに対して私のできる温度感でキレている。(例えばイスラエル招待しちゃう広島とか、オリンピックの裏で改憲しようとしてる自民とか) 「いい加減にしろ!😡」じゃなくて「いいかげんにしてくれ(ヘロヘロ)😞」みたいな感じ。 ちなみにちゃんと怒ってる人にどうして欲しいとかそう言うのはない。私が悪いごめんなさい。 とはいえ私みたいな人結構いるんじゃね ちゃんと怒れない・怒ってる人見てるの辛いと言うのは、結構いるんじゃねと言う気がしている。 今やっと体感したが、怒るのも、怒る人を見るのもエネルギーがいるんだなと知った。それまで私は、幼少から怒る訓練がバッチリだったのでちゃんと怒っていた。なんなら各方面にキレすぎて生きづらかったのでアンガーマネジメントの本とか読むレベルだった。 ちなみにアンガーマネジメントとそれを日常に取り入れてから学んだことは「戦略的に怒る」ということで、怒るべき時に怒らないと普通にアカンということだった。 で、今怒ってる人は怒るべき時に怒っている人達だと思っている。 とはいえ見ていてしんどい....ごめんなさい。 怒る訓練とかできてなかったり、疲弊してる人は私よりこの状況辛いんじゃね?と思うようになった。だから何となくモヤモヤしていてもjoinしづらい的な ウヨサイドは...? とここでウヨサイドはどうだろうと考えてみる。 ウヨサイドはナショナリズムをうまく使ってるような気がする。「国のため!」「他人のため!」みたいなの。そういうのが気持ちいい人は気持ちよかろう。 あとは、怒りというより「不安」と「冷笑」の文化が大きい気がする。冷笑して相手より優位に立ってる“気がする”状況はたぶん結構気持ちがい...